伯耆守信高(上三代)について (刀剣美術813号寄稿)

執筆者 : 加藤 博司


(一) はじめに

尾張刀については先輩諸兄が物しておられるが、細部については記述が乏しいのが現状であります。
小生が「信高上三代について」を昭和六十一年十月(三七五号)刀剣美術誌に掲載して三七年が経過、他事にかまけて勉強が進んでいないのを反省し、その間に気づいたことを加えて再度簡略にまとめることに致しました。

初代信高は作品数が相模守政常、飛騨守氏房、に比して極端に少なく数拾口に過ぎず、その原因は諸説あるが藩政期に相州上位刀に直された説が有力であります。

 銘 濃州関三阿弥兼國末葉 伯耆守藤原信高六十歳 於尾州名護屋作 元和七年酉素秋吉日
 (名古屋市博物館 蔵)

の脇指が現存し、その出自は明白であります。

慶長十四年より名古屋の関鍛冶町(昭和四十一年に中区丸の内三丁目と錦三丁目に編入される)に住まう、寛永十年入道して慶遊と号し、寛永十三年没する。 切銘は「伯耆守藤原信高」「伯耆守藤原朝臣信高」などが見られる。

二代信高は、初代信高の子で、寛永十年受領し、寛文二年入道して閑遊と号し、元禄二年没しています。 切銘は「伯耆守藤原信高」「伯耆守藤原入道作」「前伯州信高閑遊入道作」などが有ります。

三代信高は二代信高の子で寛文五年三年受領し、宝永四年没しています。 切銘は「伯耆守藤原信高」「河村三之丞信高作之」などがあります。

四代信高以降、その名跡は幕末まで続いております、これも尾張徳川家の手厚い保護があったことと推察されます。

(二) 信高(上三代)の銘について

伯耆守藤原信高の銘については、銘が近似しているため判別が困難ですが、詳細に比較すると、僅かながら相違点が認められ、分類も可能ではないかと思われます。

初代信高(押型1)

切銘で初代と二代三代の違いの有るのは「伯」の字であります。 「伯」の一画、三画が二代三代と比較して反りが少なくほぼ直線、「白」の口の部分が小さい。

初代信高のの特徴を列記すると

  1. 茎尻は幅細まりシンメントリ―の栗尻
  2. 棟は角
  3. タナゴ腹ごころ(茎尻より三分一ほどより幅が少し狭くなる)
  4. 鑢は勝手下がり、化粧鑢は無い
  5. 刀身が元先広く帽子も延び所詮慶長姿になる
押型1_1 押型1_2 押型1_3
押型1 初代 標準銘 4口
押型2
押型2 二代 銘 寛文元年八月吉日

二代信高(押型2)

「伯」の一画、三画の反りが目立ち、銘全体が大振りです。 茎は初期に角棟があるが基本的には丸棟で鑢は筋違い、刃上り栗尻、大半化粧鑢が付く。 初代二代三代は茎の棟、鑢、茎尻等により鑑別は比較的容易にできます。

初代、二代の中間銘として、押形3のような作刀が少なからず存在します。 初代との相違点は「伯」の一画、三画に少し反りが付く、「伯」の口の部分が少し大きくなり、茎尻は刃上りの栗尻で、たなご腹ごころは無く角棟がある。 刀姿は慶長・元和姿より少し優しく、時代が少し下がるように思われ総合的に考察すると二代初期作と思われます。




三代信高(押型4)

二代三代の銘は大変近似している為、年紀のある銘を基準に分類、図解すれば、次のようになります(図A・B)。

相違点は「守」の三画、「藤」の三画、「原」については、図のように二代は三画七画が接近します(信高の「」の字の三画は欠落しており、実際には四画と八画です)。 「信」の九画、「文」の四画にも相違点が認められます。

図A 図B 押型3 押型4
左から 図A、 図B、 押型3 初代・二代の中間銘 二口、 押型4 三代 銘 河村三之丞信高作之・寛文五年二月吉日

二代三代の押形による比較

図Cは二代年紀のある銘 (イ)寛永弐拾年八月日、(ロ)寛文元年八月日、(ハ)寛文十年八月吉日・六十八才作之、 (ニ)寛文十一年二月日、図Dは三代銘(イ)元禄八年二月日で、他は年紀がありません。

二代信高の伯耆守は寛永十年より寛文二年入道銘になるまでの間作刀を見ますが、寛文十年八月吉日・六十八才作之の作刀が現存することにより、入道後も伯耆守を切銘していたことになります。

図C、図D

押形4の河村三之丞信高作之・寛文五年二月吉日は、三代信高の受領直前の作刀で、二代信高より鏨太く、やわらか味があって筆勢を感じさせます。

万治二年、寛文二年記に三代の代銘と思われる作刀が現存致しておりますので「伯耆守」銘の分類が一層重要になりますが、信高に関しては二代、三代の優劣は無いことを申し添えておきます。

限られた資料での思考は空白部分が多く、十分な成果を得られないのが現状です。尾張刀の調査研究を進めるにあたり大方のご支援ご協力を切望致します。(未完)

令和五年八月 記