第5報 古代刀(直刀)の「研磨刀の丁子刃文」 について
執筆者 : 牧野 克昭
近年になって古墳時代の古代刀(直刀)が研ぎ師により研磨されて、綺麗な地肌と刃文の状況が確認できるようになり、 古代刀と日本刀を比較することが出来るようになりました。
春日大社国宝殿(令和元年12月28日〜令和2年3月1日)で開催された 「最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展」で展示された古代刀(直刀)の刃文の中に ”焼刃土置き“にて焼入れされたと考えられる互の目乱れに”丁子刃“が交っていました。 このことから日本刀の備前伝における”丁子刃文“が、いつごろから出現したのかについて、 6世紀後期の展示古代刀との関連性を考えることとする。
法量は全長106cm、刃長81cm、茎(なかご)25cmを計り、形状は平造りで、フクラつく鋒(きっさき)を呈する。 鍛えは顕著な柾目肌に肌目沿って地沸が厚く付き、物打ちあたりは層状となり段映りの呈をなすため、合せ鍛えと推定される。 この時期のものとして極めて珍しい刃文は、 佩表中央部には互の目乱れに“丁子刃”を交えて焼き、刃縁に明るい小沸がむらなくつく。
注)丁子(ちょうじ)とは、刀の刃文で乱れの頭が丁子の蕾(つぼみ)の形に似ているもの。
1)展示古代刀の姿(すがた)と地鉄(じがね)について
この古代刀の直刀姿は、古墳時代に日本独自の倭風大刀(わふうたち)として発達したものである。 刃長は81cm(二尺六寸七分)と長く、身幅広く踏張りのついたしっかりとした姿で、 棟区(むねまち)はつかず刃区(はまち)がほぼ直角に深くついた6世紀末ごろの大刀と考えられる。
地鉄の鍛えは肌目の目立つ柾目に部分的に板目がまじる鍛えであり、地斑(じふ)や白けが目立つ地鉄の組合せは、 縦に積み合わせた合わせ鍛えと考えられ、日本刀の大和国保昌派の地鉄の鍛え方に通じるものがある。
・この展示古代刀は“〔B〕倭風大刀(わふうたち)”と呼ばれている。 2〜4世紀頃に中国からの舶載品として入ってきた〔A〕素環頭大刀(共鉄柄の縁頭に鉄環のついた大刀)の 鉄環を切り放し、倭風の木製の柄を装着した日本独自拵えに改良した大刀のことである。
奈良県斑鳩町藤ノ木古墳(6世紀後半)出土鉄刀、飾り玉纒大刀(たままきたち)復元品 ☆2
2)展示古代刀の刃文の、のたれ刃や互の目乱れ刃の中に交じる“丁子刃”について
近ごろ日本刀の展示会に古代刀の研磨刀剣も展示されることがあり、日本刀のルーツを考えるうえで非常に参考になると思われる。 静岡市美術館(令和4年7月〜8月)開催された展示ではショーケース内の古代刀を見るための照明が適切で地鉄・刃文を良く見ることができ、 のたれ刃と互の目刃の中に交じって“頭の丸い足の入った丁子刃”があるのを見ることが出来きました。
この古代刀の刃文は、先は物打ち付近からのたれ刃となり、鋒(きっさき)は焼詰め風となる、 腰元はややのたれ刃となり、他の古代刀に見られるような焼落しにはなっていない。 刀身の中ごろ付近の7割くらいは焼巾が広くなり、のたれ刃の中に互の目乱れや“丁子刃”が目立つ刃文となっている。 しかし、従来の6世紀頃の古代刀の刃文は、のたれ刃に互の目刃が交ったものがほとんどであり、 “丁子刃”が焼かれた大刀は大変珍しいと言える。 これまでは“丁子刃”の出現は平安時代後期〜鎌倉時代初期の古備前派・古一文字派からと言われているが、 この展示古代刀の“丁子刃”によって6世紀末頃まで時代が遡ることとなる。 (ただし、展示古代刀の地鉄の地肌は柾目鍛えの大和伝風であり、備前伝の地肌の板目に杢目の交じった鍛えとは異なる)
・地肌は板目やや流れ、地沸つき地景入る。 刃文は丁子乱れ、二重刃ややかかり、沸よくつき足・葉(よう)しきりに入り砂流しかかる。 帽子は直に小丸、表わずかに掃きかける。
・地肌は、小板目に杢を交えて細かにつみ、地沸つき、地景入り、映り立つ。 刃文は、表は小丁子に丸い丁子、山形の互の目が交じり、足・葉入り、小沸つき、金筋、細かい砂流しが入り、匂口冴える。 帽子の表は、のたれ込み丸く返る、裏は直ぐに丸く返る。
3)古代刀(直刀)の“焼刃土置き”による焼入れ刃文の時代的な変化について
古代刀の焼入れ刃文の時代変遷は古墳出土の年代となるが、5世紀後半頃から鋒部分に“焼刃土置き”を使用した刃文が見られる。 そして、6世紀前半頃から刃文が鋒から腰元まで延びて焼落しとなる。その刃文は主に、のたれ乱れに互の目が交じった刃文となる。
今回の6世紀後半頃の展示古代刀の刃文は、物打ち部分と腰元部分には、 のたれ刃となるが刀身の中央付近には互の目乱れ刃に“足の入りの丁子刃”が交るところに技術的な進歩がみられる。
・「5世紀後半頃」
神奈川県御領原古墳出土の鉄大刀
地肌は、全体に小杢目肌が入り、鋒の刃文は小沸が付き大丸に焼き込む。
埼玉県城戸野古墳出土の鉄大刀
地肌は、全体的に柾目に流れ、その間に密集した地沸と地景がある。 刀身の刃文は、湾れ乱れに互の目刃を交えて腰元まで延び焼落しとなる。鋒の刃文は、大丸に返り深く焼き込む。
群馬県前橋市総社町二子山古墳出土の鉄大刀
地肌は、全体に板目に杢目肌が入り肌立ち、大小の沸がよく働き、各所に渦巻肌があり映り立つ。 鎬地には、綾杉状の大肌がある。刀身の刃文は直刃調に、のたれを交えて沸深く小沸付き金筋が入り腰元で焼き落とす。 鋒の刃文は、乱れ込み先少し尖り浅く返る。刀身の部分は鎬造りである。
4)展示古代刀の焼入れ刃文の“丁子刃”の出現について
古代刀(直刀)は、5世紀前半頃までは焼入れはなく自然放冷のものか、 刃の部分のみを硬鋼(刃鉄)を使い刀身の軟鋼と鍛接した合せ鍛えとして、 焼刃土を用いないで焼入れした“ズブ焼き”と考えられる。 その後、武具の発達や乗馬による戦いなどから、刺撃(しげき)から斬撃(ざんげき)が多くなり、 必然的に刀の強度を上げる必要性が生じたため、刀身全体の大部分に硬鋼を使用し、 刃の部分のみ焼入れをする“焼刃土置き”焼入れという技術を考案したものと思われる。
古代刀の“焼刃土置き”焼入れによる刃文は、一般的には5世紀後半頃から6世紀後半頃まは、 のたれ刃と互の目刃の構成で成り立っているが、展示古代刀のような6世紀後半頃に一部刃文の中に“丁子刃”の交じったものが現れる。 このことは焼刃土の置き方に技術的革新が生じたことになる。 注)焼刃土とは、普通は耐久性のある粘土に木炭の粉や砥石の粉などを混ぜて作ったもの。
・のたれ刃文(左側)と互の目刃文(右側)の焼刃土置き ☆6
この刃文は、のたれ刃文の引き土の状態の上に刃先から鎬(しのぎ)にかけて刻み込むようにして、 線状に長い足の模様の“置き土”を引く。この線状に置かれた土は、その周囲よりやや厚目になり、 他の部分よりやや軟らかな組織(マルテンサイト+トルースタイト)である“丁子刃文”となって現れる。 この丁子刃文は、のたれ刃文に比べると焼刃の刃中部分に足が長く入いることには 硬いマルテンサイトの中にやや柔らかいトルースタイトの組織が足のように入り込むことになり、 焼入れ時の刃部の膨張による焼割れキズを抑える緩和材の役目とも考えられる。
刃文は小互の目、丁子乱れ、わずかに小乱れ交じり、足・葉よく入り、小沸細かくつく
5)まとめ
日本刀の焼入れのように刃部だけマルテンサイトを生成する場合には、刃部が1.3%ほど膨張し長くなるので若干の反りが生じる。 この膨張は焼入れの瞬間に起るので、大きな歪みとなり焼割れ(刃切れ)や曲りの原因になる。 マルテンサイト変態によって生じた歪みを開放するためには、焼入れ後に100〜200℃で焼戻しをする。 ☆9
古代刀(直刀)の“焼刃土置き”の焼入れによる刃文の変化は、 武器としては直刃やのたれ刃だけでも斬撃する時の機能は果たすこと出来る。 しかし、互の目刃や丁子刃の出現は、ただ刃文の美術的な見栄えだけの問題ではなく、 武器としての進化(折れず・曲がらず・よく切れる)のなかで技術的に硬鋼(中・高炭素鋼)の使用や、 焼入れ温度の高温化に対して、刀身の刃部に起きる焼割れ(刃切れ)のキズなどに対応するために、 経験を繰り返すなかで生まれた技術的革新ではないかと考えられる。
『参考文献』
☆1『最古の日本刀の世界・安綱・古伯耆展』2019年12月春日大社図録
☆2『斑鳩に眠る二人の貴公子・藤ノ木古墳』2006年12月著者:前園実知雄
☆3『名物刀剣・宝物の日本刀』平成23年8月佐野美術館図録
☆4『備前刀剣王国』平成27年8月佐野美術館図録
☆5『古代刀と鉄の科学』2006年1月著者:石井昌国・佐々木捻
☆6『作刀の伝統技法』平成28年1月著者:鈴木卓夫
☆7『日本刀神が宿る武器』2015年8月著者:服部夏生・仲森智博
☆8『華やかな日本刀備前一文字』平成19年11月佐野美術館図録
☆9『日本刀の材料科学』2017年10月著者:北田正弘