第12話 私と刀の出会い
執筆者 : 岡本 克博 |
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今回の第十二話は「私と刀の出会い」と題して、岐阜県加茂郡にお住まいの岡本克博(刀匠名 和宗)さんにご執筆いただきました。
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執筆者 : 岡本 克博 |
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今回の第十二話は「私と刀の出会い」と題して、岐阜県加茂郡にお住まいの岡本克博(刀匠名 和宗)さんにご執筆いただきました。
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小学3年生の初夏、私は虫垂炎で入院、その病院で日本刀に出合った。 虫垂炎は他の小腸に巻きつき腹膜炎を起こしかけていた。 このため手術は長引、麻酔は切れ始めていた。 手術に立ち会った母の「痛くても我慢して」の声が聞こえ、そのおかげで医師は盲腸を剥がし終えることが出来た。 麻酔は効いていても、腹の中を引っ張られる痛みで腹を引き医師が苦労していたらしい。
こうした状況からか、当時一週間で終了する入院が二週間に及んだ。もうすぐ退院という時、事が起きた。 院長の次男が私の病室に来て私を連れ出したのである。 年は私より一つ上だったと思う。
私が入院した病院は隔離された結核病棟を数棟併設する、この地方でもかなり大きいものであった。 院長は戦時中に軍医を勤めておられた様でモール(肩章)の付いた礼服に、飾りの付いた帽子に、儀礼用のサーベルがあった。左官か将官クラスの軍医と思われる。
次男は大きな屋敷の中をあちこち見せて呉れ、海軍の短剣に混じって日本刀があった。これを近くの竹藪に持ち出し、竹を切った。 うまく切れたかどうか、ずっしりとした重みは覚えている。 軍刀だったと思う。
この後、子供自転車に乗り、抜糸したばかりの傷が開き、それから又一週間入院した。 もう良かろうと思い勝手に歩いて家に帰った。 医師もあきれて、そのまま退院となった。
元は山田病院と言い、今は合併して木沢記念病院に。 岐阜県中濃地域の中核病院である。 今の医院長は兄上である。
その少年は木沢家を継ぎ、内科の先生になっていた。 学区が異なるのでその後会っていない。 いま少し実力のある刀鍛冶になってから会いたいと思っている。 刀鍛冶になるきっかけを作って呉た人だから名刀を見せたい。
ノコギリ用の刃ヤスリを年玉で買い、鎬(しのぎ)作りの小刀を20本ぐらい小四から中一にかけて作った。 もちろん焼きもどしをし、形を整え、再刃し、木の鞘(さや)に納めた。今一つも残っていない。 皆、友達にあげてしまった。
この時から、何時か本物を作る夢を持ったと思う。
名古屋支部 岡本 克博