第3話 刀との会話

執筆者 : 渡邊 和夫
 今回の『第三話』は『刀との会話』と題して、恵那市在住の渡邉和夫さんにお願いしました。 渡邉会員はお刀や槍を多数所有されておられますが、今回は厳選し、ご自慢の脇差について執筆していただきました。

 ここに『於武州江戸 源 正次』と銘のある脇差があります。 大正十年まで尾張徳川家蔵刀で『智の六十三』と白鞘に柄には『第百九十五号』と柄頭の場所に『地の人』と墨書があります。

 脇差の法量は刃長39.5cm反り0.47cm元幅3.76cm先幅3.525cm元重0.86cm茎長12.5cmと長さの割りに幅広で、重く、頑丈な作りこみで鑑定の研究会では尾張刀工へ入札して大汗をかきました。

 この脇差の作られた江戸時代の前期大名家の取りつぶしが多く行われた時代で肥前の国佐賀藩は鍋島家の相続と元戦国大名で主家であった竜造寺家の確執で藩内、外ともに多難の時であったとおもわれます

 この頃佐賀藩初代鍋島勝茂公は晩年になっており、嗣子を亡くし、父直茂のいとこ竜造寺隆信の子孫正家―高房弟安良―季明(伯庵)等が竜造寺家の再興運動を行っていることもあって、徳川幕府の要所への配慮を怠ることができない局面で、その一環として勝茂公お気に入りの刀工である正次(竜造寺家の刀工であった正次に寛永九年には「宗安」を慶安三年には「正次」を寛文六年頃に「宗次」を名乗ることを許した)を江戸に上らせ下屋敷て鍛刀させたもので将軍家、老中、御三家他へ贈るため武州江戸打ちはこの脇差の他に相当数有るのでは…と思っております。

脇差 銘 於武州江戸 源 正次

 本刀は、異風の姿で地、刃ともに力のみなぎった二代宗次会心の一振。

 刃長39.5cm(一尺三寸0分四厘)反り0.47cm(一分六厘)元幅3.76cm先幅3.52cm 元重0.36cm先重0.76cm 茎長12.5cm茎反りわずか、茎元重0.83cm茎先 重0.44cm 鎬造、庵棟尋常、鎬高高く棟重を薄く、鎬幅は狭い造り込みで、身幅は特別に広く元幅と先幅の差は少なく切先は中切先となりフクラはやや枯れ、反りは浅い中間反りになった、異風な脇差姿。

 地鉄は小板目に板目をまじえ、よく詰んで、細かな地沸が厚くついたきれいな肌で底に地形が沈み、鎬地は板目が征に流れる。

 刃文は大乱れで角張った互の目に尖り刃をまじえ、足は長くあるいは太く変化があり、金筋砂流しをまじえ、大小の飛焼があり棟焼に連なる。

 匂口は沸が豊富に厚くつき、沸、匂は深く明るく冴える。帽子は乱れて先は掃け、返りを長く焼き下げる。

 佐賀藩に戻ります。勝茂公は明暦三年にに亡くなり二代を継いだのが孫の光茂公ですが祖父と本人ともに名君と称せられるのは他の藩主が達成できなかったような難題を解決し、有名な「葉隠」十一巻を編纂させたことではないかと思っております。

 又、三十石以下の藩士でも成績優秀であれば抜擢し登用するようにした藩主が三代の網茂公との事で、私は幕末頃にそうした制度が出来たものと思っていたので勉強不足を反省しております。

 刀はいろいろな事を語って教えてくれます。私にとって良い師、良い友にめぐり会える仲立ちをしてくれたのが刀であり、今は刀を学んで本当に良かったとしみじみ感じております。

 人生八十年の時代自分の好きな道を楽しむことが何と幸せなことか…。自分の世界に生きること、人生の快事ここにあり。

名古屋支部 渡邉 和夫